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熊本簡易裁判所 昭和34年(ろ)498号 判決 1960年1月22日

被告人 高宮達

昭五・一・二〇生 自動車運転者

長尾寅喜

大三・七・一八生 自動車運転助手

主文

被告人両名は無罪。

理由

本件公訴事実は

被告人高宮達は熊本市花畑町九州産業交通株式会社の貨物自動車の運転手、被告人長尾寅喜は同会社の貨物自動車の助手であるが、被告人両名は被告人高宮において同会社の貨物自動車いすゞ一九五一年式五屯積トラツク熊一―五〇八一号を運転し、被告人長尾において助手として右トラツクの助手台に同乗して昭和三十四年四月十八日午前九時五十分頃同市島崎町より花畑町に向う途中、同市新町二丁目の自動信号機の設備してある交叉点に北方よりさしかかり停止信号のため先行車につゞいて停止線の約十六米手前で一旦停車し、約二十秒の後信号が青になつたので同交叉点内に進行を始めたが、運転手席からは車の左後方が見えないので、運転手は助手をして車の左後方の安全を確かめさせながら進行し助手は左後方の安全を確かめ、もし危険があれば直ちに運転手に車を停止させる等し、もつて相互に協力して事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、被告人両名は不注意にもそれぞれ右注意義務を怠り左後方の安全を確かめずして先行車や信号機にのみ気をとられ、折柄緒方末夫(当六十四才)が自転車に乗り、被告人等のトラツクの停車中に歩道と右トラツクの左後車輪の間附近にゆつくり入つてきて自転車に跨がつたまゝまさに右足を地面につき且つ右手を右トラツクのボデーにつこうとしているのに気付かずして、漫然と右トラツクを発車させ約一米五十糎進行させたため、その進行により安定を失つた同人を右トラツクの左後車輪の前に顛落させて左後車輪で同人の胸部を轢き同人を外傷性両側肺裂傷で即死させたものであるというのである。

よつて案ずるに、被告人両名の当公廷における供述、司法警察員作成の実況見分調書、医師児玉一雄作成の死亡診断書、被告人両名の検察官検察事務官並びに司法警察員に対する各供述調書、永戸フヂの検察事務官に対する供述調書を綜合して考えると、被告人両名に公訴事実に指摘されるごとき注意義務のあることと被告人両名に右注意義務をつくさなかつた過失があるとの点をのぞき右公訴事実記載のごとき事実を認定することができる。

そこで交叉点にかゝつた際停止信号によつて停車した自動車の運転手又は助手に発車するに当つて検察官の主張するごとき業務上の注意義務が要求されるか否かについて考察する。

およそ自動車運転手及び助手には自動車の前進中前方及び左右の注視義務があり後方を注意する義務のないこと多言を要しない。従つて交叉点にさしかかり停止信号によつて停車した場合において発進するに当つても特別の事情なき限り後方を確認する義務はないというべきである。たゞ停車中車の後方に通行人が来て車体にふれていたり子供が遊んでいることを知つた場合においては危険をさけるため後方を注意すべき義務のあることは勿論である。

そこで本件において被告両名に過失の責があるか否かは停止信号によつて停車中被告人等において被害者が自転車に乗車して後方より近づき左後車輪の近くに来ていたことに気付いたか否かにかゝわるわけであるが、被告人両名がこれを知つていたと認むべき証拠は少しもないのみならず却つて被告人両名の供述によれば停車するに際し後方を確認し安全であつたため進行信号に従つてそのまゝ発車した直後人をひいたことを知り驚いたというにあつて被告人両名は被害者が自動車の後車輪に近づいていたことを知らずに発車したことが認められる。

尤も被告人両名が発車するに当り後方の安全を確認しておれば本件のごときいたましい事故の発生は未然に防止せられたのであるが、それだからといつて運転手及び助手に一般的に交叉点で停車した際において発進するに当つては後方確認の義務があるとし、過失責任を負わせるのは酷に失すると考えられる。結局被告人両名には過失が認められないことに帰するから、本件犯罪の証明不充分というべきである。

よつて刑事訴訟法第三百三十六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 黒木美朝)

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